本田技研が自信を持って送り出した「クーペ9」、空冷1300cc 110馬力 4キャブレター、ドライサンプ、
スペック走りも、排気音も申し分なかったが とに角、故障の多い車だったために手元にいたのが半年
足らずだった、この車で初めて170Km/H以上の
世界を体験した、もう一度運転してみたい1台。
この車になって初めてクーラーが装着され夏でも快適なドライビングを楽しめる
ようになった。

 

 クーペ9の故障の多さに嫌気が差し 乗り換えたのが同じホンダ1300 77セダン。
ホンダ初の7ポジションAT車、山道では力の
無さを露呈、軽自動車にもあおられる様な車であった。
翌年の3月に原宿・宮下公園前でダットラに追突され後部を大破、自身も鞭打
ちの為約1ケ月をベッドで
過ごした、あまりいい思い出の無い1台、この車も短命であった。

 

 トヨタ初、好みの仕様が自分でチョイスする事が出来た車 1600CC DOHCエンジン ソレックス
ツインチョーク 5段MF しかし
ハンドルをMOMOの30cmに交換したらとにかく重くて往生した(PSなど
まだなっかた時代)。
アルミホイールなどまだまだぜい
たく品だった頃履き替えることも出来ずノーマルのホイールキャップを
はずし粋がって乗っていた。

 

6気筒 2000CC ツインチョークとスペックはなかなかの物だったが途中で施された「排ガス規制」で
スッカリ骨抜きにされてしまい
勾配のきつい坂道ではネオあげてしまうような1台だった。
走りやの一部のお兄さん達が結構好んだ車(もちろん不法に改造
して)でもある。
車歴中、唯一の日産車。  
ハンドルをナルディのウッドに交換、フロントミラーをドアーミラーに交換
(当時のボルボの物・この時代ドアーミラーは違法改造になった)フェンダーの穴はきちんと板金をして
めてしまった。
世界的なオイルクライシスの為、ガソリンスタンドは日曜、祭日は休業。
為に遠出の時は予備のガソリン
をトランクに入れて走った。

 

ロータリーエンジン搭載車、低公害仕様 とにかく早い・・・軽やか・・・だがハイスピードになると結構
安定の悪い車だった。
ハンドルをナルディのウッドに交換、ガソリンバカ食い(リッターあたり4kmが普通・高速道路でも6km
程度)。
我が車歴中、唯一車検を受けた車でもある。

 

番外車、カナダのバンクーバーに居住中手に入れた6年落ちの中古車 V8 3000CC フルサイズ
4Dr HARDTOP仕様ながら
走りは結構な物だった。
この車が、後の「アメ車狂い」のきっかけを作ったのかも知れない。

 

発売を待ちかねて手に入れたアコード、水冷4気筒1600cc 5段ミッション 3ドアー、 でもクーペ9
時代のスペックは無かった。
当時のVW「シロッコ」に非常に似ていた、 サイズは小さいが車内は広く良い車であった。
発進時ジャダーが出やすくFF車の癖か発進時ハンドルを左に取られることが多かったと記憶している。
当時、撮影をしていたFORMULA-ONEとかBBSの雑誌広告に自前の車で何度か出演。 

 

先代のアコードが結構いけたので、2代目を購入水冷4気筒1600cc AT車、PS付。
ホンダスターレンジと呼ばれるATで無段変速仕様だった。

 

販売店の推薦で新聞広告に家族で出演、この後しばらく知人たちに「新聞見たよ」と言われた。
あまりはやらなっかたハッチバックのテールゲートを持つ5Drで、輸出仕様のコロナに積んでいた
エンジンをスケールダウンして搭載 4気筒2000ccでも高回転の伸びが結構悪かった。
長野市・善光寺の裏手で運転を誤り道路脇の階段から落ちアライメントが狂ってしまいその後完治
することなく下取りに出した。

 

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